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香川県の伝統的工芸品の紹介

香川漆器
香川漆器江戸時代、高松藩主が茶道・書道に付随して漆器を奨励したのが讃岐の漆器作りの始まりです。その後、香川漆器の始祖といわれる玉楮象谷が中国の漆技術を取り入れた幾多の技法を開発し、今日の基礎を築きました。その技法も、蒟醤、存清、彫漆、象谷塗、後藤塗ほか多岐にわたり、製品も座卓・飾り棚などの室内調度品から、盆・花器・菓子器などの小物類まで広い範囲に及んでいます。
讃岐桶樽
讃岐桶樽桶は、古くは檜の薄板を曲げて桜や樺の皮でとじ、底をつけた曲物でした。現在のような細長い板を円筒形に並べてたがで締め、底板を入れた構造になったのは室町時代になってからです。桶は一般にふたは用いませんが、特殊の用途のものにはふたがあり、これを樽と呼んで区別しています。桶や樽は古くから受け継がれてきた生活の器であり、木肌のもつやさしさが、暮らしに安らぎと潤いを与えてくれます。
欄間彫刻
欄間彫刻通風や採光のために欄間に、彫刻をほどこした欄間彫刻は、桃山時代から江戸時代中期にかけて、日本間の装飾として欠かせないものとなりました。松平頼重公をしたってきた飛騨の木工職人によって伝えられたといわれている讃岐の欄間彫刻も、次第に一般家庭に普及するようになりました。白木の美しい木目を利用して、こまやかな細工をほどこされた製品には、時代の風格さえ漂っています。
組手障子
組手障子日本建築の室内の間仕切りとしてなくてはならない障子は、鎌倉時代に作られたのが、始まりです。その後、単なる実用としてのみでなく、格子に様々な装飾を加えること(組手加工)によって、書院障子、猫間障子をはじめ、今日でも広く利用され、障子を通したやわらかな光は、私たちにほのぼのとしたやすらぎを与えてくれます。
志度桐下駄
志度桐下駄高松市から東へ15キロ、さぬき市志度は全国に誇る桐下駄の産地です。町内には、原料となる荒取りされた桐材がうず高く積まれ、町の風物詩となっています。志度町で桐下駄作りが始まったのは、明治40年。当時は、近隣の需要をまかなう程度のものでしたが、大正初期には生産量が急増し、今日の基礎を築きました。熟練した職人の手により、約40の工程を経て作られる桐下駄は、木肌のぬくもりをほのぼのと感じさせてくれます。
肥松木工品
肥松木工品「肥松」は、樹齢数百年の老松の幹の部分で、脂分を多く含んでおり、気候風土の関係で、香川県では昔から良質のものが採れ、肥松を用いたろくろ仕上げの木工品は、江戸時代から作られていました。じっくりと時間をかけて完成された製品は、彩色を施さない自然の木地のままの素朴な味わいと、年月を経るほどに出てくる赤茶色の艶の美しさが、独特の調和をかもしだしています。
讃岐一刀彫
讃岐一刀彫天保8年、金毘羅大権現の旭社建立の折、全国から集まった宮大工によって始まったと伝えられる一刀彫りの技法は、明治30年頃に開校された琴平工業徒弟学校の彫刻科に伝承され、讃岐こんぴらさんの特産品、土産物として普及してきました。叩きノミの荒々しい刃痕を残しながら、細部に小ノミをきかせた、大胆にして細心なノミ使い。その巧みな彫りは、秀逸した職人芸を今に伝えています。
長火鉢
長火鉢長火鉢は、居間には欠かせない室内調度品の一つでした。胴には、固くて丈夫な欅に光沢を出すために漆を塗るとともに、小物などをいれる引き出しには、鉄金具を取り付けています。この美しい木肌と鉄金具で構成された意匠は、重々しさと力強さを感じさせてくれます。
桐箱
桐箱箱は、湿気を防ぐだけではなく、木目が美しく光沢があるために、古くから全国各地の神社仏閣で宝物箱として重宝され、その後、器物入箱、茶器入箱など庶民の生活の場においても普及してきました。軽くて柔らかい桐を使って組み立てられた製品は、温かみのある品の良い仕上がりが特徴となっています。
讃岐提灯
讃岐提灯讃岐提灯は、四国八十八ヶ所の奉納提灯として発生しました。そのため、寺社特有の図柄や紋様が用いられ、極彩色に飾られた讃岐提灯が、今なお、神社仏閣に飾られています。その技法は、「讃岐一本がけ」といわれる独特のもので、最近では、インテリア用提灯の需要も多く、現代の生活空間の中で、昔ながらの「明かり」が見直されようとしています。
高松和傘
高松和傘明治20年、岐阜産の日傘を参考に作り始められたのが高松和傘の起こりです。手先の器用な讃岐の職人は、当時、高松で盛んに製造されていた手漉和紙と、塩江などの阿讃一帯で豊富にとれる竹材を使って、またたく間に高松を全国有数の和傘の産地にしました。昔ながらの工程で1本1本丁寧に仕上げられる高松の和傘は、手作りの深い味わいと洗練されたデザインで広く知られています。
一閑張・一貫張
一閑張・一貫張一閑張(一貫張)の技法は、江戸時代の寛永年間に、明国より帰化した塗師・飛来一閑が創案したものといわれています。木や竹で作った下地に和紙を張り重ね、日本古来の防水材である柿渋を塗って仕上げます。和紙本来の粘りに柿渋が加わり、長年の使用に耐える強さが生まれます。製品はかごや皿などの器類から小物家具まで多彩で、本県特産のうちわにもこの技法が生かされています。
丸亀団扇
丸亀団扇丸亀のうちわ作りは、350年前の江戸寛永年間に、金刀比羅宮参拝客への土産物として、金印入りの丸柄の渋うちわが売り出されたのに始まります。その後、平柄うちわが開発され、現在では、この平柄のものを主流に伝統的な竹製うちわが作り続けられています。その用途も、涼用や炊事用など日常生活に密着したもののほか、装飾用や鑑賞用など様々なものが作り出されています。
香川竹細工
香川竹細工「竹」は、古くより日本人に最も愛され、親しまれてきたものの一つで、暮らしの場で生かされ、活用されてきました。竹材を使った細工物も、用と美を兼ね備えた生活の用具として、用途に応じたものが各種考案され、今に受け継がれてきています。細くさいた竹を、形を整えながら製品に合わせて編み上げていくその技法は、職人芸のさえを様々に見せてくれます。
古式畳
古式畳畳は古式には座具として用いられ、薄手で、重ねたり折りたたむものをいいました。その後、次第に厚みのあるものとなり、平安時代にはほぼ現在の形を整えるに至りました。こうしたなかで、公家や武家、寺社などにおいて格式空間を形作るために一定の定法にもとづく固有の畳が生み出されてきました。このような古式畳の造作技法は、京・大阪から讃岐の地にも伝えられ、現在も寺社や茶席などにおいて用いられています。
神懸焼
神懸焼神懸焼は、楽焼の手法による焼物で、寒霞渓の観光開発に伴う土産品として、明治8年に創案されました。粘りの少ない小豆島の土を用いるため、粘土を紐状に長く伸ばし、それをくるくるまきながら形を整えていく「ひも作り」の技法に特徴があります。製品としては、ぐい飲みや湯飲みなどの普及品から、茶器や花器などの高級品まで、幅広く制作されています。
岡本焼
岡本焼豊中町の岡本地区では、近くで良質の粘土が取れることから、古くより農家の副業として素朴な焼物が焼かれてきました。製品は俗に「ほうろく」といわれる土釜や鍋、豆炒り瓦など生活雑器が中心で、赤肌の暖かな焼き上がりは、明るい感覚にあふれ、人々の日々の暮らしの中で愛用されてきました。かつては、ほうろく売りと呼ばれた行商人が、製品を荷車に積み、雲辺寺山を超えて、遠く阿波まで売り歩いたといいます。
讃岐装飾瓦
讃岐装飾瓦県内各地では、奈良・平安・鎌倉・室町時代の窯跡が数多く発見されており、その時代から瓦作りが盛んに行われていたことを物語っています。おそらく鬼瓦なども魔除けとしてかなり古くから作られていたのではないでしょうか。その後、江戸後期に、瓦が民家の屋根にも普及してきますと、装飾瓦も多種多様なものが製造されるようになり、その技法が今日まで伝承されています。
豊島石灯籠
豊島石灯籠豊島石は、角礫凝灰岩といい、材質が軟らかく、加工しやすいことから、鎌倉時代から採掘され、灯籠用原石として全国各地で用いられてきました。なかでも、京都の桂離宮や二条城、大阪の住吉神社などにあるものはよく知られています。島の中心部にある壇山から切り出された豊島石は、ノミやゲンノウを使ってコツコツと細工され、様々な形の石灯籠に仕上げられていきます。
庵治産地石製品
庵治産地石製品五剣山の麓、牟礼町や庵治町は「石の町」です。付近では庵治石と呼ばれる良質の花崗岩が採れ、石灯籠や彫刻物など、様々な製品に加工されています。庵治石の採石の歴史は古く、遠く平安時代にまでさかのぼりますが、江戸時代に高松藩の御用丁場となったころから、急速に発達してきました。現在、250余りの業者が軒を並べ、石を叩くツチ音を響かせています。
鷲ノ山石工品
鷲ノ山石工品国分寺町の南部にそびえる鷲ノ山は、全山角閃安山岩でできており、良質の石材が切り出されています。鷲ノ山の石は、切り刃が軟らかく加工しやすいのが特徴で、古く古墳時代には、東側山麓の石舟地区一帯で石棺づくりが盛んに行われていました。明治期に入り、産業としての石材加工業が発達し、現在では、灯籠や彫刻物など、様々な石製品が熟練の手により生み出されています。
打出し銅器
打出し銅器銅は金属の中でも比較的軟らかく細工がしやすいことから、古くから金工の材料として用いられ、様々な生活の用具に加工されてきました。打出しもその一技法で、型取りした銅板に板を加えながら、木槌や金槌でたたいて目的の形に仕上げていく方法です。この技法で作られた湯わかしや鍋などは、地金がしまり丈夫で、使い込めば使い込むほどに深い味わいが出てきます。
左官鏝
左官鏝「東北院歌合せ」(鎌倉時代)や、「七一人職人歌合せ」(室町時代)の壁塗師の絵にみられる左官鏝は、古くは自然の木材を加工して作られた木ごて、竹ごてでした。今日では、島根県産の安来鋼を使用し、数回焼入れされた、小型の鋼製品に柄の付いたものとなりました。地味ながらも良い品を作り出している讃岐では、使いやすさに重きを置く工夫に益々磨きをかけています。
讃岐鍛冶製品
讃岐鍛冶製品讃岐における鍛冶業の歴史は古く、古文献にも鍛冶職人である韓鉄師の記述が見られます。その後、江戸時代になると鍛冶業は免許制となり、高松の鍛冶屋町や観音寺の茂木町などで集団で業を営んでいましたが、明治以降は農村部にも定住するようになりました。鍛冶は暮らしにもっとも身近な仕事の一つとして小学校唱歌にも歌われ、包丁やなたなどの刃物類やすきやくわなどの農具を、今もつちのひと打ちひと打ちから生み出しています。
讃岐鋳造品
讃岐鋳造品わが国に鋳物技術が中国や朝鮮半島から渡来したのは弥生時代からといわれ、県内の古代の遺跡からも銅鐸や銅鉾などが出土しています。こうした鋳物製品を作る技術者を鋳物師といい、もともと仕事先に出職していたものが、中世期以降各地に定着するようになりました。県内には鋳造業に関する地名が方々に残っており、鋳物師辻とよばれる山本町辻の大辻集落などでは、今も梵鐘や鉦、仏像などが伝統的な鋳造技術により造られています。
保多織
保多織保多織は、高松藩主松平頼重公の名を受けた京都の織物師、北川伊兵衛常吉が創案した独特の組織を持つ絹織物で、松平家はこれを藩の織物として、明治維新にいたるまでその技法を秘し、一般の使用を禁じてきました。保多織という名は、丈夫なことから、「多年を保つ」の意味でつけられたといわれ、独特の風合いを持つその製品は、香川県の代表的な織物として、多くの人に愛用されています。
讃岐のり染
讃岐のり染のり染は、もち米で作った防染のためののりを、筒描きや型紙により紋様状に布地に置き、藍がめにつけたり、刷毛で引き染めして染め上げるもので、県内各地で古くから行われてきました。とりわけ高松城下の紺屋町には染屋が軒を連ね、着物やハッピ、ふとん地、ゆたんなど生活に密着した様々な染物がつくられていました。その染色の技法は今に引き継がれ、伝統と新しい創造に根ざした染の素晴らしさをみせてくれます。
讃岐獅子頭
讃岐獅子頭神仏の祭礼に登場する獅子頭の発祥は、応神天皇のころに中国から渡来し、奈良朝前期の伎楽面に由来するといわれています。讃岐の獅子頭は、あご、耳、取っ手など一部を除いて張子の手法により作られています。粘土の型に和紙を張り合わせ、型抜きをした後、胡粉や漆で素地を作り、様々な装飾を施して完成となります。乾漆作りのため軽量で丈夫なところが大きな特徴です。
手描き鯉のぼり
手描き鯉のぼり5月5日の端午の節句は、古く中国から伝わったものですが、この節句に鯉のぼりが用いられ始めたのは、江戸時代の安永年間といわれ、鯉は化して龍になるという故事にちなみ、男の子の健やかな成長を願って、その形を模した物がたてられるようになりました。五月の薫風を腹一杯にはらみ、青空の下を泳ぐ鯉のぼりは、初夏の代表的な風物詩の一つです。
金糸銀糸装飾刺繍
金糸銀糸装飾刺繍我が国に刺繍の技法が伝わったのは、遠く飛鳥時代に仏教の伝来とともに中国よりもたらされたといわれています。その後刺繍は、貴族や武家、さらには一般庶民にも広まり、衣装やふくさなどの生活用品や祭礼用具などにもその技法が用いられるようになりました。中・西讃地方の祭りに登場するチョーサ(太鼓台)の飾りにはこうした刺繍が施されており、その豪華さは他に類を見ないものとして知られています。
節句人形
節句人形わが国では、古くより、子供たちの安らかな成長を願って、全国各地で節句の行事が行われてきました。県内では、3月にひな節句、5月の端午の節句のほか、中・西讃地方には、旧暦8月1日の八朔に馬節句を行う風習があります。節句人形は、こうした祝事に欠かせないものとして、江戸期よりつくられているもので、熟練した職人の手により、約200にも及ぶ工程を経て仕上げられています。
高松張子
高松張子高松市内の鍛冶屋町には、古くから玩具や人形を商う店が軒を連ね、様々なオモチャ類が作られていました。張子細工もこの一つで「デコさん」といわれる人形玩具や面などが、子供たちの良き遊び友達となっていました。とりわけ、おマキ伝説にちなむ「奉公さん」は、全国によく知られており、そのほのぼのとした素材の味わいが多くの人々の共感を呼んでいます。
高松嫁入人形
高松嫁入人形高松市には、古くより嫁入りの際、近隣に人形を配るという婚礼習俗があり、そのため、練り物による人形がつくられてきました。今日、このような婚礼の風習は途絶えてしまいましたが、この嫁入人形は、高松の伝統的な郷土玩具として受け継がれてきています。その製法は、様々の型に原土をつめて型取りし、地塗と彩色を施して仕上げるもので、素朴な味わいを今に伝えています。
張子虎
張子虎張子虎は、中国の虎王崇拝がわが国に伝わり、作り始められたといわれており、虎の武勇にちなんで、子どもの健やかな成長を祈る気持ちから、端午の節句や八朔祭の飾り物として、古くから愛用されてきました。ぴんと張ったヒゲやゆらゆらとゆれる振子式の首などユーモラスなその姿は、郷土玩具や誕生祝、商売繁盛の縁起物としても喜ばれています。
讃岐かがり手まり
讃岐かがり手まり手まりは、平安時代に中国より伝えられたといわれており、清少納言の枕草子にも遊び事としてまりが登場してきています。初め、貴族の間で使われていたまりも、その後一般に普及し、我が国独特の美しい文様が考案されて、今日でもその技法の伝承されたものが全国各地に見られます。観音寺地方におけるまりは、草木染による木綿糸を用いて、染糸1本1本を針でかがりながら、20余種の模様を描き出す技法に特徴があります。
菓子木型
菓子木型和菓子づくりに欠かせない菓子木型は、江戸時代からつくられ始めたと言われており、香川県においても明治30年からつくられていました。材料は樹齢百年くらいの山桜を十分乾燥したものを用い、魚や花などの図柄を何種類ものノミ・彫刻刀で、左右・凹凸を逆に彫っていきます。完成した木型を二枚重ね、砂糖や餡(あん)などの材料を入れて抜き出すと様々な形の和菓子ができあがります。決して表に出ない地味な存在の菓子木型ですが、私たちの目と舌を満足させてくれる和菓子づくりになくてはならないものです。
竹一刀彫
竹一刀彫わが国の竹彫り技術は中国から伝来し、すでに奈良時代には盛んに行われていたようです。讃岐の竹彫りは、香川漆器の始祖・玉楮象谷が確立した「讃岐彫」が起源といわれており、象谷一門など多くの人々が研究を重ね、木・竹・牙を素材に数多くの讃岐彫の作品がつくられました。竹彫は、煎茶が盛んな頃に茶合、線香筒などが数多くつくられていましたが、煎茶が下火になるとともに少なくなってきました。しかしながら、竹の持つやさしさと強さを活かして美しく仕上げられた竹一刀彫は、私たちの生活に安らぎと潤いを与えてくれます。
お問い合わせ先
 香川県商工労働部 経営支援課
 TEL.087-832-3342
 E-mail:keiei@pref.kagawa.lg.jp
 URL:http://www.pref.kagawa.jp/keiei/